内田の生い立ち〜幼少期

こんな理由から内田の生い立ちをポツポツ書いていきます。

皆さんそれほど興味ないと思いますので自分のための記録の意味もあるので読んでも読まなくても大丈夫です。

と、言っても私はもうほとんど産まれてから20歳くらいまでの記憶がないんですね。笑

人間ってどんどん忘れる生き物だと言いますが、私は人より記憶がないような気がします。

覚えていることだけザックリと書いていきます。

私を産んだ時、母は大変な出産をしてくれました。

分娩時間は48時間と母子手帳にあり、私はなかなか上手く外に出てこれなくて、散々母を苦しめたあげく、最後の最後で帝王切開に切り替えて誕生しました。

父はお医者様から「母子ともに危険です。どちらを助けますか?」と、尋ねられだそうで、

「どっちも助けろ」と答えたそうです。

父の強引さは昔からだったようです。

おかげさまで母子ともに助かりまして。

今の私がおります。

こんなに図太く生きているのはその時の皆さんのおかげなんですね。

さて。そんな難産だった事があってか、母は私が3歳か4歳くらいの時に難病を発症しました。

膠原病という病気です。

かなり大変な闘病だったと思います。

そんなわけで、私が小さい時から母は病院の入退院を繰り返していたので、祖母や親戚と過ごすことが多い幼少期でした。

そんな中でも父も母も愛情を注いでくれていたと感じていましたし、両祖父母や親戚にも本当に大切に育ててもらったと感じています。

そのおかげで警戒心もなく、のびのびとした子供らしい子供として育つ事が出来たと思っています。

私が3歳くらいの頃でしょうかね。こんな事がありました。

従姉妹と近所の駐車場で遊んでいたら紙袋に入ったゼリーとプリンが落ちていました。

プリンが大好物だったもんで、私そのプリンを食べちゃったんですね。

一歳年上の従姉妹にはそれほど好きではない方のゼリーを差し出して「ゼリーいる??」と、聞きました。笑

それにビックリして従姉妹は私の伯母にあたる母親を呼んできました。

「なっちゃんがーー!!落ちてたプリンたべちゃったーー」って。笑

今でも親戚に語り継がれている「なっちゃんが落ちてるプリン食べちゃった珍事件」です。

親戚の集まりがあると未だに話題になる事件です。

そんな感じでいつも従姉妹や親戚がそばにいて母の入院中でも寂しい思いをする事もなく過ごしていました。

私の自己肯定感はこの時期に父母だけでなく、母が入院している事に気遣ってくれた祖父母、親戚からの愛情があったからじゃないかと思っています。

今自分の子を育てていても愛していることを言葉にして伝えるようにしています。そして両親だけではなく、多くの大人から愛情を注いでもらえる環境はとても素晴らしい事だと思います。

親戚や保育園など、この時期に感じた愛情はその後もずーと心の支えになると自分の経験から感じているからです。

幼少期編 終わり。

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