内田の生い立ち〜児童期2

ここまで音楽の話は全然登場していませんが、ピアノは4歳から始めて、続けていました。

その頃、そんなにピアノは好きではなくて、楽譜は読まず、先生の指の動きをレッスンに行った時に覚えるという方法でピアノを弾いていました。

そんなもんで、今でも楽譜を読むのは苦手です。

私が本格的に音楽にハマるのはもう少し後の話です。

さて、母が他界してからですが、

基本的に「良い子でいよう」キャンペーンが内田の中でスタートします。笑

それが後々爆発してイタリアまで飛んでっちゃうわけですが、とりあえずこの時期の私はよく親の言うことを聞く良い子になりました。

みんなが気遣ってくれるので、それに応えよう。

心配されたくない。

みたいな思いが私をそうさせたというところもありつつ、単純に人が喜ぶのが嬉しかったからというのもあります。

もともと人の期待に応えたいという意識は強いタイプだったので、明るく、元気な子という期待に応えたいというところがあったんだろうと思います。

つまり根っからポジティブというわけでもなく、私の明るく元気の裏には少なからず、根暗で、陰気な自分もいます。

昔は押し殺していたと思いますが、

最近はコントロールしていると思います。

ちなみに、祖父母や伯母の「いっぱい食べて」に応えた結果このような体型になったような気がしている。笑

さて、家の食事は父と祖父の事もあったので近所に住んでいた3人の伯母が代わる代わる家に来て支度してくれました。

良い子キャンペーン中の内田はそれを毎日手伝いしていました。

そのおかげで、私は料理の手伝いをする事で効率を覚える事が出来ました。

料理って段取って、効率よく進める必要があるので実は今の仕事にも役立っていると思います。

家に家庭教師がきて、女子校に入るための受験勉強もしました。

別にどこの学校に行きたいとかいう思いもなかったので言われるがまま受験して、無事私立の女子校に入学することになりました。

書いていて感じましたが、

「期待に応えたい」という気持ちは難しい。

この気持ちの正体は、

今の私にもちょっとよくわかりません。

良い者か、良い者の顔した悪者のような気もします。