声種について熱く語る

ずっと言いたいことがありました。

もう、批判を恐れずいうぞ。

日本は声種を間違っている人が多すぎるゾーーーーーーーー!!!!

あぁ。言っちゃった。

声種というのはソプラノとかメゾソプラノとか。

テノールとかバリトンとか。そういう区分のことです。

ソプラノはソプラノでもさらに細分化されていて

レッジェーロソプラノ

リリコレッジェーロソプラノ

リリコ

スピント

ドラマティコ

とその他の声種もそれぞれ分かれ

その人の声の特徴に合わせて

リリコプーロとか、レジェリッシモソプラノとかもっと詳しく声の音色を表現する言葉があります。

私はリリコピエーノだと言われていましたが、

スピントに近い、満タンのリリコというような音色を持っていると言われていました。

これは好き嫌いで選ぶものではありせん。

その人の持っている声帯と体つきなどによって決まるものです。

声帯や体で声を出してきたときの音色というものは変わってくるわけです。

声の音色は作るものではなく、元々持っているものだというのが私の考えです。

まぁ。当然と言えば当然で、

ヴァイオリンはどこまで行ってもヴァイオリンです。どうにか頑張ってチェロの音色を出そうとしてもでないものは出ないのです。

人間も楽器なのです。同じなのです。

しかし、正しい発声から外れれば、ちょっと違った音色が出せたりします。

そこがほかの楽器とは違うところです。

なので、たまに聞くのは仕事がソプラノより取れるからメゾソプラノにした。

高音が出ないからバリトンにした。

(この場合、逆に正しい声種になったケースもあると思います)

という話です。

そういうご事情で楽器を変えることが本来はできないはずなのです。

持っている楽器は一つなのです。

年齢や体の変化とともに多少の声の変化はありますが、正しく歌っていればレパートリーの幅変わっても本質的にそうそう変わるものではないと思っています。

まぁ。本人がそれで良いと言って、聴いている人もそれで満足しているんだからいいじゃないっていう意見もあるとは思う。

でも、ヴァイオリンがチェロぽくしてもチェロには敵わない。

その人が本来持っている声の魅力を最大限に活かしてこそ、本当の音楽の感動が伝えられる。

音楽を表現する上でもものすごーーーーーく損をしているのです。

どこまで進んでも、最高潮の表現にたどり着けない可能性が高いからです。

さらに無理しているとすると歌手としての寿命を縮めている可能性もある。

本当に怖いことなのです。

こんな状況ですが、歌を教える人たちが声種の判断能力が無くて起きていることが多いようです。

私はイタリアの師匠がとにかく耳が良く、経験が豊富な人で見た目でおおよその声種が判断でき、さらに声を聞けばほぼ間違えた判断はしない人でした。

だからこそ、ヨーロッパの歌劇場で活躍する歌手を多く輩出できたのだと思います。

レパートリーを考える上で正しい声種の判断は無くてはならないものです。

正しい発声で声を出した時にその魅力が最大限に生きて来ます。

日本ではその考え方が希薄なのがほんとうにもったいないというか。。。

そう思うです。

解決策は、正しい耳を持った先生が増えることですかね。。。